2015年8月例会『飛べ!ダコタ』予告編&あらすじ
2015年08月20日 公開
これは、いまから67年前に、実際にあった出来事である。昭和21年1月14日――太平洋戦争の終結からわずか5ヶ月後のこと。佐渡島の小さな村に、イギリス軍の要人機《ダコタ》が不時着した。わずか5ヶ月前まで、敵国だったイギリス兵の予期せぬ来訪に、驚き、戸惑う村民たち。だが、「困った人を助けるのが「佐渡ん人間(さどんもん)」の精神を貫き、国境を越えた友情と絆を育み、《ダコタ》をふたたび大空へと飛び立たせたのだ。そこには、日英共に戦争という忘れ難い痛みと憎しみを乗り越え、再生と平和への一歩を踏み出そうとする、願いと決意が込められていた。
それから、64年の歳月が流れて、《ダコタ》の修理を行った整備士の息子が、佐渡を来訪するという出来事があった。彼は、すでに他界した父がこの地で大変お世話になったこと。そして、もう一度、佐渡に行きたいと思いを馳せながら死んだことを告げた。国境を越えた絆は、いまでも人々の心に脈々と生き続けていたのだ。これを機に、「この事実を風化させてはならない」と願う、地元フィルムコミッションの働きかけによって、総製作費約2億円を投じて、ついにその映画化が実現した。
《STORY》
昭和21年(1946年)1月14日——終戦から、わずか5ヶ月後のその日、鉛色の空を切り裂いて、一機の飛行機が佐渡島にある高千村の海岸に不時着した。それは、イギリス空軍の要人機《ダコタ》であった。真っ先に駆けつけたのは、海を見渡せる丘の上から、その光景を目にしていた森本千代子(比嘉愛未)だった。
イギリス空軍のパイロットたちは、上海の英国総領事を東京まで送る途中で悪天候に見舞われ、やむなく不時着したのだという。砂に埋もれたダコタを掘り起こすまでは、ここに止まらざるを得なくなったのだ。つい半年前まで敵国であり、その戦争で家族を失った者や、帰らぬ息子を待つ者など、さまざまな想いを胸に抱く島民たち。しかし、千代子の父親で村長の新太郎(柄本明)は考えあぐねた末に、「困った者を助けるのが、佐渡ん人間(さどんもん)」という、この土地に根付く精神に従って、《ダコタ》が飛び立つまでの間、イギリス兵たちを自分が営む旅館に迎えることにした。はじめは警戒していたイギリス人たちも、千代子をはじめとした島民たちの温かいもてなしに、次第に打ち解けていく。
一方、千代子の幼なじみの木村健一(窪田正孝)は、兵学校での事故がもとで出征することなく村に戻ったまま終戦を迎えていた。英語の通訳をという千代子の頼みも無下に断り、一人殻に閉じこもっていく。
島民たちと英兵たちが力を合わせダコタを再び空に舞いあがせるための滑走路づくりに励む中、親友の義春の戦死報告を受け取った健一は、《ダコタ》が義春の死んだビルマ戦線で、イギリスの将軍専用機だったこと知る。健一の中で、暗い憎悪の炎が燃えたぎる。そしてある夜、健一は遺書めいた書置きを残し一人《ダコタ》がある海岸へと向かい・・・。
監督:油谷誠至
出演:比嘉愛未 窪田正孝 柄本明 他
2013年 |日本|109分|
『飛べ!ダコタ』(公式サイト)
2015年8月例会
■日付 8月23日(日)
■場所 イオンシネマ戸畑
■時間 ①12:00ー13:55 ②18:30―20:25
■日付 8月24日(月)
■場所 小倉昭和館
■時間 19:00ー20:55
★2月からイオンシネマ戸畑、小倉昭和館の2会場での上映です。変更が相次ぎ、会員のみなさまにはご迷惑をおかけしますが、日時のお間違えのないよう、しっかりご確認のうえ、お出かけください。よろしくお願いします。
これは、いまから67年前に、実際にあった出来事である。昭和21年1月14日――太平洋戦争の終結からわずか5ヶ月後のこと。佐渡島の小さな村に、イギリス軍の要人機《ダコタ》が不時着した。わずか5ヶ月前まで、敵国だったイギリス兵の予期せぬ来訪に、驚き、戸惑う村民たち。だが、「困った人を助けるのが「佐渡ん人間(さどんもん)」の精神を貫き、国境を越えた友情と絆を育み、《ダコタ》をふたたび大空へと飛び立たせたのだ。そこには、日英共に戦争という忘れ難い痛みと憎しみを乗り越え、再生と平和への一歩を踏み出そうとする、願いと決意が込められていた。
それから、64年の歳月が流れて、《ダコタ》の修理を行った整備士の息子が、佐渡を来訪するという出来事があった。彼は、すでに他界した父がこの地で大変お世話になったこと。そして、もう一度、佐渡に行きたいと思いを馳せながら死んだことを告げた。国境を越えた絆は、いまでも人々の心に脈々と生き続けていたのだ。これを機に、「この事実を風化させてはならない」と願う、地元フィルムコミッションの働きかけによって、総製作費約2億円を投じて、ついにその映画化が実現した。
それから、64年の歳月が流れて、《ダコタ》の修理を行った整備士の息子が、佐渡を来訪するという出来事があった。彼は、すでに他界した父がこの地で大変お世話になったこと。そして、もう一度、佐渡に行きたいと思いを馳せながら死んだことを告げた。国境を越えた絆は、いまでも人々の心に脈々と生き続けていたのだ。これを機に、「この事実を風化させてはならない」と願う、地元フィルムコミッションの働きかけによって、総製作費約2億円を投じて、ついにその映画化が実現した。